醤油禁断症


こんな症状があるなんて気づかなかった。。。先のブログ”ベティーさんの恩返し”にも書いたが21歳の夏にアメリカを1ヶ月かけてグレイハウンドという全米隈なく走っているバスに乗り一周した。最初の10日間をポロアルトのベティーさん邸で過ごした後に一人バスに飛び乗って北に向かった。

当時流行りのバックパッカーです。

パロアルトを出発てしてサンフランシスコ、シアトル、ポートランド、バンクーバーと。。そして2週間が過ぎた後、勃然と醤油味の禁断症状が出てきた。思ってもみなかった症状である。最初は1ヶ月くらいハンバーガー、サンドウィッチでも食べていれば大丈夫だと思いきや読みが浅かったことに気づく。

バンクーバーからトロントに行くカナダを西から東へと横断する道は至って単調、1日目は森と湖の景色、2日目は草原とただただバスは1本道を直走る。

北極に近いと空気のレンズのせいで出てくる月は馬鹿デカくそして色はオレンジ。初めて目にするそれが月だと気づくのには時間がかかったそして日が暮れない、日没は9時ごろだ。

この単調な景色と時間は思考を一点に集中するには最適である。

バス停の近くのレストランで取る食事も単調でお世辞にも上手いとは言えないアメリカンな物ばかりでゲンナリしてくると同時に醤油味が夢に出てくるようになるのです。醤油とご飯、、それは熱々のチャーハン、そしてラーメンとくれば餃子。寝ては夢、起きてはうつつ幻のとはよく言ったものです。

そしてボストンに到着すると真っ先に中華料理店駆け込んだのは言うまでもない。和食料理店などグレイハウンドのバス停のあるダウンタウンには皆無であった。

そして数年後留学を始めた時にモントレーの下宿先はイタリア人家族で、毎日が3食イタリアンの贅沢な食生活をするのですが 同じ日本からやって来てアメリカ人宅に下宿している友達と

『 今晩の夕食、ステーキとふりかけご飯だったらどちらを選ぶ?』 

二人とも口を揃えて『ふりかけご飯だよな!』という会話をしていたのを思い出した。

さてこの解決策として毎週金曜日の夜カーメルにある 『しゃぶしゃぶ』と言う日系人の経営していた日本食レストランでアルバイトをすることなる。車を持っていいなかった時に大学からの帰りに友達が家まで送ってくれることになった。途中で彼の働いているそのレストランに寄った。そこのオーナーが 『ユーはテンプラできるか?』との質問に 即座に『Yes』と答えたのは言うまでもない。これはまた改めてブログで書くが母の料理教育の賜物である。

毎週金曜日の夜和食にありつけそしてアルバイト料+チップがもらえるという一石二鳥のチャンスであった。チップでその週のガソリン代が賄えた。当時1ガロン38セントだったと記憶している。オイルショックの前の年である。

余談ではあるが当時大学には日本人学生は6人くらいしか在籍していなかった、皆この醤油禁断症には罹っていた。そして街に一軒だけ日本の食材を売っているマーケットがあった、そこで食材を求め”冷やし中華パーティー”を開催した、皆の心にこの出来事はいまだに残っていることは確信する。

いかに育った味にこれほどまでにコントロールされるかがよく分かるエピソードである。

Califusa Sunset

浅学(せんがく)にして菲才(ひさい)右脳、五感型 人間。 そういう人間が文章を書くとすれば自分が実見して知っていることを書くことしかない。 好きな場所に住めること  そこには心を豊かにさせる何かがある そんなカリフォルニア ライフを記録として綴ってみた。

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